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韓国のマチュピチュで考える歴史と観光

今週も韓国の釜山にいます。

釜山の山の斜面に、カラフルな家がびっしりと折り重なるように建ち並ぶ一角があります。韓国のマチュピチュとも呼ばれる人気観光地の一つ、「甘川文化村(カムチョンムナマウル)」です。

パステルカラーの家々、迷路のように入り組んだ路地、そこかしこに置かれたアート作品。星の王子さまの像の隣で写真を撮るための行列。国籍を問わず、多くの人が訪れていました。一見すると、おとぎ話のような可愛らしい村。だけど、この風景の成り立ちを知ると見え方が少し変わってきます。

甘川文化村のはじまりは、朝鮮戦争(1950〜53年)でした。戦火を逃れてきた避難民と、太極道という宗教の信者たちが、釜山のこの山の斜面に身を寄せ、その場しのぎの掘っ立て小屋を建てて住み着いた。それがこの村のはじまりです。

韓国語で、丘の上の村を「タルトンネ」と言うそうです。タルは月、トンネは村。直訳すれば「月に近い村」ですが、その実際の意味は「貧しい村」です。朝鮮戦争で家を失った人々が、平地に住めず、水道も整わない急斜面に折り重なるように暮らす。そうした集落が、戦後の韓国の各地にできました。甘川文化村も、そのひとつです。お金を稼いだ人から村を出ていく、不便で貧しい集落だったといいます。

つまり、いま観光客がカメラを向けているあのカラフルな家々は、もともとは戦争で家を失った人々が、生きるために身を寄せ合った場所なのです。

転機は2009年に訪れます。行政による「夢を見る釜山のマチュピチュ」という公共アートプロジェクトが始まり、芸術家や学生、そして住民たちも協力して、村の景観を整えていきました。色あせた家々に鮮やかな色が塗られ、路地に壁画やオブジェが設置される。翌年には「美路迷路(ミロミロ)路地プロジェクト」も行われ、村は少しずつ姿を変えていきました。

その結果、かつて人が出ていくばかりだった貧しい村は、いまや年間約280万人が訪れる観光地に生まれ変わりました。衰退していく集落を、アートの力で蘇らせた成功例として注目されています。

一方で、この村にはかつてからの住人が今でも暮らしています。約5000人が暮らす村に、年間で約280万人が訪れる。観光地への転換に協力し、成功を収めたものの、予想もしない人数の来場に困惑している住民も少なくないといいます。観光客の賑わいと住民の暮らしをどう両立させるか。これは、僕が拠点にする京都がまさに直面している問題でもあります。

甘川文化村の成功の下には、戦争の記憶と、貧困の歴史と、そこで生き抜いてきた人々の暮らしが、幾重にも積み重なっています。カラフルな壁は、その上に塗られた、比較的新しい一層に過ぎません。

観光地を「映える風景」としてだけ消費するのは簡単です。けれど、その風景がなぜそこにあるのかを知ると、同じ景色がまるで違って見えてくる。旅先で歴史を知るというのは、たぶんそういうことなのだと思います。

カラフルな家々の間を歩いていると、時折見える海。ここに最初に住み着いた人々は、向こうに見える大海をどういう想いで見ていたのでしょうか。涼しくなってきた釜山の街を歩きながら考える週末です。

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